蕎麦好きの独り言(2014.04.22up)

その六、「玉石混淆」

真っ暗な闇に覆われた世界の中にも一筋の光明があるように、ふと気付くと周りの景色の色合いが変わっていることに気付いて驚くことがある。自分の置かれた環境なんてそんなに大きく変わることなどないと思っていたが、最近実に色々なことが身の回りで起こった。

今まで生きてきて幸いなことに特別な賞罰を受けたことがない。つまり何の取り柄もない平々凡々な生活をノホホンと送ってきたのである。それに輪を掛けて極度の人見知りなので大勢の前で話など絶対に出来ない。反対にそう言うことの出来る人には尊敬の念を抱いていたのだが、先日ひょんなことから某市の首長のお話を聞く機会があり出掛けてきた。高名な政治家の話などまじめに聴く機会などめったにないことなのでそれなりに楽しかった。

この日の会合には来賓として某市の幹部職員もひな壇に鎮座列席しており、間近にそのご尊顔を拝する機会を得たのも楽しかった。
いやあ、改めて人をじっくり観察すると実に面白いものですな。自分がそんな場所に並ぶことなんて決してないので気楽に拝見させていただいたのだが、何というか、そう言う場に出る機会が多い人特有の雰囲気を持っていらっしゃる。人から見られることに慣れている感覚というのは天性のものなのか皆さん実に良い表情でした。
誤解されると嫌なので敢えて書いときますが、決して表題のような感想を持ったわけではありませんから…(笑)


さて、今年の春は思いの外天気が良く農作業もはかどったので、日曜日の作業を少し早めに切り上げて「山勘」の外五分から発展した外七分半、先日のモーツァルト定期の時に村山の道の駅に寄って蕎麦粉を仕入れてきたのでやってみました。
ここでは「最上早生」と「でわかおり」双方とも入手できるが、今回は「でわかおり」をチョイス、表示は新蕎麦云々となっているが新蕎麦の季節からかなりの時間が経っており香りの減少は否めないとある方が申しておりましたが果たしてどうなのか?



話は突然変わるが、毎年春の陽気と共に風にたなびく花粉は、我が鼻孔に甚大な被害を与える。加えて農作業における粉塵の吸引による健康面への悪影響は毎年頭痛、もとい、鼻炎の種であるが、今年も例外はなく花紙の消費が著しい。
特にひどいのが朝方である。突発的なくしゃみの発作で目覚め、くしゃみを連発し花紙を取り出すと言った慢性的な行動パターンに陥り、暫くは周囲の失笑を買う毎日だ。
元来臆病な質で体に異変を感じるといの一番に医者に行くが、大抵は杞憂であり医者から一笑に付される場合が多い。花粉症はそれまで何ともなかったのがある日突然発症する病気でまさか自分が罹ろうとは夢にも思わなかったが、罹ってみると全然治らず酷い有様だ。

また先日突発的痒みが体中に広がり、一晩我慢したが堪らず翌朝医者に駆け込んだのだ。前の晩に痒みに耐えきれず酒で誤魔化そうと一気にやったら全身にじんま疹が吹き出した。この時は酔いに任せて家中にある薬を塗りまくったが症状は改善せず酷くなるばかり、自暴自棄になり「キンカン」を患部にすり込んだら滲みることこの上なし…(笑)
ヒリヒリする快感?で痒みを忘れることが出来たが、素人は決して真似など致しませぬように。馬鹿が移りますよ。

で、翌朝皮膚科の先生が言うには、突発性を含めてじんま疹の90%以上は原因不明なのだそうだ。
例えば蕎麦を食べて発症する不幸な人もいらっしゃるようだが、そう言う人は原因が明白なので治療も可能だが、原因不明では治療の仕方がないので薬で取りあえず抑えるしか手はないのだという。非常に多弁な先生で口が止まらなかったので敢えて一言。

わかりました先生。理屈はどうでも良いから、すぐに効く点滴や注射をお願いします。
と言ったら車で来院したかと聞くので、そうですと答えたら、すごく眠くなりますので、決して無理して運転しないで下さいと念を押された。
しかし生まれもっての天野邪気、口ではハイと答えても内心は、うんちくはいいからさっさと注射しろぼけが…と毒づいているのだった。(汗)

院内ではさして変化はなかったが、薬局で薬の調合を待つ間に眠り込んでしまい、自分の名を連呼され目を覚ました。何とか会計を済ませ車に乗り込んだのは良いが、とても運転など出来ずそのまま爆睡してしまった。
普段薬を常用していないからか、たまに服用すると効き方が半端じゃなくて(副作用も含めて)市販薬ならそんなでもないが、処方箋を伴う薬は、たとえ3日分と言われても1日服用すると後は廃棄することが多い。こういう人間故か思い込みが激しく、催眠術なんかもすぐにかかってしまうに違いないと考えている。(最近酒の回り方も早いな…)

何が言いたいのかというと…  
… … …


忘れた(笑)


いや、冗談ではなく最近こういうことが頻繁に起こる。歳が行っているから若年性アルツハイマーとは思えないが…
げっ…、まさか…(汗)
まあ良い。中登隊などと騒いでいた日が懐かしい…


蕎麦粉にも色々な質があるのは以前書いた。今回の粉も以前一度使ったことはあるにしろ条件が変わっているので未知の体験だ。
計量を済ませ水回しをすると部屋中に蕎麦の香りが広がる。とは言ってもオラにはほんの少し感じるだけだが、久しぶりに触る蕎麦の触感に心が躍る。友人が言うには、要は混ざればいいんだから、ハンドミキサーでやった方が楽なのだそうだが、濡れた蕎麦粉が手に引っ付く感覚が楽しいと思うのはやはり変なのだろう。

加水量に細心の注意を払いまとめてこねる。力を込めて、願いを込めて、祈りを込めてこね上げる。
いつになっても上達しない菊練りから、へそだしを経てバンと一気につぶすと、のし板に軽く打ち粉を払う。
掌に徐々に力を入れながら丸く延ばすと…
あれっ???
生地にひび割れが…

初めての体験にびびる。何でだろう? 水分が足りなかったのだろうか?
いや、こね方が足りなかったのだろうか?
前述の医師ではないが原因がわからないと対処のしようがないのだ。
考えてみるといつもより生地の粘りが少ないような気がした。
赤い鯛の中にこしあんの入った和菓子のような感じと言ったらわかってもらえるだろうか。しかし肝を据えてそのまま本のしに入る。
決して生地が硬いわけではない。さりとて軟らかすぎる訳でもなく頭の中が混乱する。
こ、こりは初めての大失敗かと冷や汗が脇の下を不快に伝う。
さ、さぶい…

本のしがもうすぐ終わる頃に生地の端からほころびが…
騙しながら何とか畳むとどっと汗が噴き出した。
いつもより慎重に切るが、頭の中には茹でたときに切れ切れになる愛しき蕎麦の残像がなまめかしく残る…(笑)(空想です)
家人が副菜を調理している間、バットにラップして寝かせてみるがどうであろうか。
いやいや、久しぶりの蕎麦打ちの何と楽しいことよ。(←負け惜しみ)

お湯を沸かしいつもより優しく投入し、どうか切れないで上がって来てと願いを込め鍋を見つめる。暫くすると勿体ぶったようにふわりふわりと浮かんできた。そして湯の中で優雅に舞うのを楽しみながら頃合いを待つ。もう大丈夫である。素早く掬い冷水に浸してぬめりを洗い流し一つまみ…

う、美味い。

香り食感共に申し分ない仕上がりだ。出来の悪い子ほど可愛いと言うが、昔の人は上手いことを言ったもんだなと一人うなづく…。

 
コピペではありませんよ(笑)
これで蕎麦粉500gです



家人の調理したおかずも絶品の仕上がり、ちくわの天ぷらはアオサの風味が良く合う。中でもうるいの黄身酢和えは抜群に美味しかった。


  
絶品のおかずが蕎麦に合います



我が家の定番である刺身がまた良い。この日は紅白よろしく鱸と鰹で、





   
外七分半の仕上がり



こうしてみると贅沢な食事のように見えるかも知れないが問題がないわけでもない。
毎回打つ度に微妙に違う食感、決して不味いわけではないが理想の味にはどうしてもならない。素人のまねごと故に意識的なコントロールが出来ないもどかしさ等…。
完璧主義者ではないが、やればやるほど葛藤が生まれる現実は、個人で解決するしかないのだが越えるハードルは高いのだ。

割烹着でも新調して蕎麦打ちに励もうか…(笑)

世の中は実に様々な人たちが存在して成り立っているんだなぁ…


やれやれ